2015/11/28

オセアニア①オーストラリア ベサングラ・スパイラル 丘陵ループ線の代表


  • オーストラリアの大幹線

今回はオーストラリアのシドニーとメルボルンを結ぶニューサウスウェールズ南本線(Main Southern railway line, New South Wales)にあるベサングラ・スパイラル(Bethungra Spiral)をご紹介します。

この路線はもともとはシドニーからの開拓鉄道として建設がスタートしました。シドニー側から南進する形で順次延伸され1878年にこの区間が開通、1883年にはメルボルンから北進する形で延伸してきたヴィクトリア鉄道と州境のアルベリーで連絡しました。日本で言えば東京と大阪を結ぶ東海道線クラスの大幹線です。

ところが、ヴィクトリア鉄道は1600mmゲージ、ニューサウスウェールズ鉄道は標準軌で直通運転はできず、州境のアルベリーで必ず乗り換えとなりました。

この軌間ギャップが解消されたのは80年も後の1962年で、アルベリー~メルボルン間約300kmにおいて標準軌の線路を横付け線増し、めでたくシドニー〜メルボルンまで直通列車が走ることとなりました。1600mmゲージと標準軌の単線並列が延々と続くという珍しいもので、これはこれで見てみたかったですね。

単線並列だった区間のうち、アルベリー~シーモア間の約200kmは2011年に改軌されて標準軌の複線となりましたが、残りのシーモア~メルボルン100kmは未だに1600mmゲージ複線と標準軌単線の三線区間です。結果としてメルボルン近郊では今でも2種類のゲージの混在が続いており、場所によって併設線増したり、三線軌にしたり、改軌したりといろいろ苦労しているようです。

  • 複線化とループ線

 1878年にこの区間が開通したと書きましたが、開通当初はループのない25‰勾配の単線でした。ところが補機を要するこの区間が輸送需要にだんだん応えられなくなり、1941年から45年にかけて複線化する際にこの区間だけ別線を建設することとなりました。

この複線化時に建設した16‰勾配の別線がループ線のベサングラ・スパイラルです。

このような経緯で上り坂となる北行(シドニー行)だけがループ線を走り、下り坂の南行(メルボルン行)は既存の線をそのまま走っています。日本の北陸線鳩原ループと同じ成り立ちですね。




  •     一味違う丘陵のループ線

このベサングラスパイラルを航空写真で見てみると、ちょうどループ線の真ん中に小高い丘があり、丘の周囲をぐるっと線路が一周している形状になっているのが分かります。

周囲は起伏のあるなだらかな丘陵地帯で、険しいというよりものどかな光景が広がっています。険しい地形に必死で挑む言わば体育会系のループ線を見慣れていると、ここは「急坂で登るとしんどいからちょっと遠回りしていこうぜ、ベイベー!」みたいなゆるーいノリに感じてしまいます。それでも全長約7kmで100mほど標高を稼ぐ難所ではあったことは間違いありませんが。


ここまで紹介してきたループ線はいずれも川と峡谷から生じる登り坂を克服するものでしたが、ここベサングラ・スパイラルは周囲に川と言えるほどの川のない典型的な「丘陵型ループ線」です。

「丘陵型ループ線」の対義語は「峡谷型ループ線」で、数は圧倒的に峡谷型の方が多数派です。丘陵型は概してトンネルが少ないのですが、ここも二つあるトンネルはいずれも線路をくぐる短いもので、実質的にはオープンループです。

  •  地方が苦しいのはどこも同じ
幹線級のニューサウスウェールズ南本線ですが、都市間鉄道の郊外部分が苦しいのは各国共通です。ループ線の名前となっているベサングラも1980年代までは駅がありましたが現在は廃止されています。

現在、旅客列車としてはシドニー・メルボルン間950kmを11時間30分かけて走る特急が1日2往復あります。ただし、そのうち1往復は夜行列車で、メルボルン行は前述のとおりループ線を経由せずに素通りしますので、結局朝のメルボルン発シドニー行だけが昼間ベサングラループを通ることのできる唯一の旅客列車です。



なお、日曜日だけグリフィス・シドニー間の区間列車が運転されており、この列車でも昼間にループ線を通過できますが、旅行者が乗るには時間的にちょっと厳しいかもしれません。蛇足ですが、このグリフィス・シドニー間の列車は「もっぱら政治的理由でのみ運転されており交通機関の役割を果たしていない」とWikipediaに書かれていたりして、いつまで運転が続くか予断を許しません。


次回は再度ヨーロッパからイタリアのサヴォナループをご紹介します。

2015/11/22

北米①キッキングホース峠 北米随一の鉄道名所

  • 大陸横断の障害
さて今回はカナダの大陸横断鉄道がロッキー山脈を越えるキッキングホース峠をご紹介します。

南北アメリカ大陸はどちらも太平洋側の山脈が大陸横断の障害となっていました。その北米側の障壁だったロッキー山脈は北アメリカ大陸南部カリフォルニア付近では砂漠の岩山が中心ですが、カナダまで来ると森と氷河の山脈になります。いわゆるカナディアンロッキーです。

人口の希薄さはどちらも似たようなもんですが、水と木がふんだんにある分気分的に落ち着きます。少なくとも南米アンデス山脈に横たわるアタカマ砂漠の無人地帯に比べると寂寥感・世紀末感はありません。それでも地形的には砂漠とは違った険しさがあり、鉄道建設の先人の苦労が見て取れます。氷河が作るU字谷は谷底は平らなのですが、どこへ行くにも絶壁を上ることになる鉄道の最も苦手な地形です。

  • カナディアンパシフィックの挑戦


カナディアンロッキー山脈の内部では基本的に川は南北方向に流れています。従って東西の大陸横断を試みようとすると何度もU字谷を上って降りることになります。それでも果敢に挑んだのがカナディアン・パシフィック鉄道、現在のカナダ・ナショナル・レイルウェイです。ナショナルと付いていますが民営会社でCNと略称します。

ちなみに昔は本当に国有でCNRと称していたのですが、1995年の民営時にそのままの名称で略号をCNとしたようです。CRと略していれば日本のJNR⇒JRと同じだったんですが、惜しいですね。

カナディアン・パシフィック鉄道がこの峠に線路を初めて開通させたのは1884年で、実は大変歴史のある鉄路です。

当時大陸横断一番乗りを目指して鉄道会社同志で建設を競っており、一刻でも早く開通させたかったことから、建設期間短縮をするためにまっすぐ坂を下る45‰の急勾配の線路で当初開業しました。

目論見どおり、カナディアンパシフィック鉄道は単独の鉄道会社として初めて北米大陸の東西を結び、開業後は東西輸送で大変賑わったようです。キッキングホース峠の急坂にはThe Big Hillといういかにもアメリカ大陸的なニックネームが付く鉄道名所となりました。

  • 新線への付け替えとループトンネル

ところが、日本で言えば明治初期のこの時代の非力な蒸気機関車に7km続く45‰の連続勾配はさすがに酷でした。 前部2両、後部2両の蒸気機関車を連結し、旅客列車は13km/h、貨物列車は10km/hの速度制限で急坂を下っていったとあります。上りよりも下りに苦労したらしいことは、設備的に下り坂の途中に3か所非常停止用待避線が作られていることからも分かります。簡単に言えば規模の大きな脱線転轍機なのですが、それでも何回か下り坂で止まれないという暴走事故を起こしてしまいました。

線路図 左に向かって下り坂
そのうち補機必須かつ厳しい速度制限のThe Big Hillは輸送需要に応えきれなくなり、1909年に新線を建設して急勾配を解消することになりました。その際にできたのがスパイラルトンネルです。

新線の建設で勾配は22‰になり、輸送力も上がりました。ダブルヘアピンの両側がループトンネルというインパクトの強い線形ができるまでには、こんな経緯があったんですね。現在、旧線の上半分は高速道路建設の際になくなったようですが、下半分は遊歩道になっているとのことです。


  • 世界でも珍しいアレが見られる
先頭の機関車がループを抜けてます
ところでこのループトンネル、上下どちらも曲線半径が175mだそうです。現代的な感覚ではもう少し曲線半径を取りたくなる急カーブですが、曲線半径を広げてトンネルが長くなるのは避けたかったのでしょう。ループのほとんどがトンネル内という構造上仕方がありません。

しかし、この急曲線ループのおかげで、ここでは世界でも珍しいものが見ることができます。それは何かと言うと「最後尾の車両がループに入る前に先頭車がループを抜ける」現象、長ったらしいですが要するに蛇のとぐろ列車が見られるということです。私の調べた限り、こことアメリカのテハチャピループだけと思われます。残念ながら確証はありません。他でもあるよ、という情報がありましたらお知らせください。

  • 旅客列車も
旅客輸送の衰退した北米の鉄道網ですが、キッキングホース峠には観光列車としてまだ旅客列車が残っています。ロッキーマウンテニア鉄道の観光列車、"First Passage to the West"号が4月~10月の間、週に2往復程度走っています。ハイシーズンは3往復に増便されます。バンクーバー発レイクルイーズ行きとバンフ行きがありますが、どちらでもキッキングホース峠を通過することができます。また逆向きのバンクーバー行でも通過することができます。



こちらのブログでもキッキングホース峠について解説されています。地形から線路を追う感覚で世界のいろいろな鉄道を紹介されているサイトです。他にあまりない視点ですが、当ブログと趣旨がかぶる部分もあり個人的に非常に尊敬しています。是非ご一読いただければと思います。

次回はオーストラリアからベサングラのループ線をご紹介します。

2015/11/16

欧州①タンド線 歴史ある偉大なローカル線

  • タンド線概要
タンド線地図 左下がフランス領です。
ヨーロッパはさすが鉄道発祥の地だけあって、古くから鉄道網が形成され、険しい地形を克服するループ線もいくつも作られました。その中から今回はタンド線を中心に見ていきましょう。

タンド線は地中海沿岸のイタリアとフランスの国境の町ヴェンテミリアから、イタリア中部工業地帯クーネオまでの全長100km弱の線です。起点も終点もイタリア国内ですが、峠を越えてしばらくの間フランス領を通る国際ローカル線です。

海沿いのヴァンテミリアから線内の最高点タンドトンネル内までの約60kmで標高差1040mを上ります。25‰勾配が続く短距離決戦型山岳鉄道で、約2時間30分の行程中4ヶ所のループ線を通ります。

短時間にたくさんのループ線を通り抜けようと思えば、スイスイタリア間を特急で走り抜けるか、タンド線に乗るかどちらかだろうと思います。なお、タンド線の運行はフランス領内も含めて全区間をイタリア国鉄トレニタリアが担当しています。

  • 政治経済に翻弄される宿命
仏伊の国境を超える国際線という性格上、タンド線は歴史上何度も国際政治に翻弄された悲劇の路線でもあります。

1912年に工事が始まった途端、第一次世界大戦で工事が中断され、1928年の開通後も世界情勢がきな臭くなり、わずか10年で国境を超える列車は休止されてしまいます。

第二次世界大戦が始まると今度は国防上の理由で線路自体をイタリア軍が破壊してしまいました。全線が復旧されたのは戦後30年もたった1979年でした。また、イタリアの敗戦によって国境が変わり、4駅がイタリア領からフランス領に変更されています。上記の地図は戦前のもので、よく見ると現在とは国境が異なっています。

近年でも経済危機による合理化の名目で運転本数が減らされており、2015年現在クーネオからヴェンテミリアの全線を走る列車は1日2往復だけとなっています。2011年版の時刻表では9往復、2013年版では8往復の列車が走っていたのに随分無茶な削減をしていますね。
※2017年9月から2018年4月までトンネルと鉄橋の改修工事のため、ヴェンティミリア発着便は途中のリモーネまで全便バス代行となってしまっています。一応、2018年5月からは列車が復活する予定ですが、大丈夫でしょうかね。少し心配です。時刻表は→こちら(2018年4月追記)


フランスからイタリアへの移動の主流は戦後整備されたスイス経由アルプス越えの道路や鉄道にほとんど移っており、今後このタンド峠を越える路線の重要度が上がる見込みはあまりありません。
  •  タンド線のループ
タンド線のループはクーネオから見て登りに1つ、下りに3つあります。個別にループ線の名前は付いていないようですので、このブログでは便宜的に最寄りの駅名で呼ぶことにします。クーネオ側から順番にヴェルナンテループ、タンドループ、サン・ダルマループ、フォンタン・サオルジュループの4つです。

これらのループの特徴として、4つともほぼ完全な360度ループであることと、立体交差する地点がトンネル内にあること(ブラインドループ)があげられます。ブラインドループばかりなのでなかなか構図的に写真撮影しづらいらしく、ループ全景を見渡すような写真があまり落ちていません。それぞれのループの概要を下にまとめます。

①ヴェルナンテ
線路配置からおそらくヴェルナンテループでしょう
ヴェルメナーニャ川右岸のシンプルなループ。クーネから見て登りです。このループだけは現在もイタリア領です。

②タンド
国境を越えてクーネオから見て下り。ラローヤ川左岸をループで降りたあと対岸に渡ります。戦前はイタリア領、現在はフランス領です。

③サンダルマ
ループのほとんどがトンネル内。ループ終了直後にサンダルマ・デ・タンド駅。駅を出るとダブルヘアピンでさらに高度を下げます。ここのループ+ダブルヘアピンが線内のハイライトでしょうね。ここも戦前はイタリア領、現在はフランス領です。
この写真はおそらくフォンタンサオルジュループだと思われます

④フォンタン・サオルジュ
ラローヤ川右岸でループしたあと対岸に渡ります。ここは戦前からフランス領でした。  













蛇足ですがタンド線を走るディーゼルカーはめちゃくちゃスタイリッシュでかっこいいですね。さすがイタリア製です。トレニタリアの「ミヌエット(minuetto)」という車両だそうです。どことなく北陸線を走るサンダーバードに似ています。なお、まったく同じデザインの電車もあります。

次回は北米カナダのループ線をご紹介します。


2015/11/09

南米②雲への列車その2

  • 雲への列車あれこれ
メセタループNO2(GoogleMapより)
さて、未踏の荒野にループ線をかかえる雲への列車、非常に魅力的です。実際に乗るとしたらいくらかかるのかとHPで料金を調べてみると・・・・。繁忙期で1,820ドル!えらい高いな、1ドル120円換算で22万円?と思ったらこれはUSDではなくてアルゼンチンペソなんですね。同じ$マークで表記するから思い切り引っかかってしまいました。1アルゼンチンペソ=0.106USD=13円ですので1,820ペソ=約24,000円でした。少し高めですが、まあ、こんなもんですよね。

なお、アルゼンチン国民や早期予約者には割引があります。また、片道割引という少し不思議な割引もありますが、これは他の観光地と一緒にまわるバスツアーと組み合わせる人向けなのでしょう。日本の旅行会社のツアーもあるようです。これは是非乗ってみたいです。

なんとなく派手な踊り子号と言う感じですね
日本からこの列車に乗りに行った方もちらほら居られ、WEB上にいくつかブログで乗車記が公開されています。みなさん一様に「途中から高山病の症状で眠くなった」と書かれています。過去には標高3,000mで脱線して乗客が救助隊に救助されたという割と笑えない事故もあったようで、スリル満点です。

こちらのページに写真や動画がたくさんあります。そちらのページによりますと、国境のソコンパまで混合列車が走っていたのですが、2007年に脱線事故があって以降運転されていないとのことです。

  • スィッチバックのおまけつき
実は雲への列車は、起点であるサルタを出発すると、比較的すぐにZ型スィッチバックを二つ通ります。スィッチバックは当ブログの対象外なのですが、ついでですのでご紹介しておきましょう。エルアリサル駅とチョリージョス駅の2か所です。
エルアリサルのスイッチバック
まだこのあたりは山が緑でのどかな風景です



当ブログではあくまでループ線を対象にしているのですが、副産物的に世界の鉄道のスィッチバックも多数見つかっていますので、おいおいご紹介できればと思っています。ただし、スィッチバックについては世界中に非常に多数あるため、全部拾い切れていないと思います。

なお、日本国内の鉄道のスィッチバックについてはこちらのサイトが詳しいです。このブログはそのサイトの影響を受けて始めたと言っても過言ではありません。もう5年以上更新が止まっていますが、極めて貴重な資料ですので、末永く続いてほしいと願います。


次回はヨーロッパ、タンド線をご紹介します。

2015/11/05

南米①雲への列車その1 世界一孤独な鉄路

  • 雲への列車
南米では19世紀から急峻なアンデス山脈を横断しようといくつかの鉄路が挑みました。全通せずに挫折した路線や、開通後の天災で廃止された路線があり、現在アンデス山脈を横断してチリとアルゼンチンを結ぶ鉄路で生き残っているのは、今回紹介するサルタ・アントファガスタ鉄道だけとなってしまいました。

その大陸横断鉄路の生き残りもチリ側は既に旅客列車はなく、アルゼンチン側は観光列車が走っているだけとなっています。その観光列車の名称が「雲への列車」Tren a las nubesです。「雲への列車」Tren a las nubesは、アルゼンチン北西部のサルタ市を起点に、ラ・ポルボリージャ大鉄橋Viaducto La Polvorillaまでの約200kmの間を週に2往復しています(雨季にあたる12月~3月は運休)。

  • アンデス横断の歴史

アントファガスタ・サルタ鉄道は1921年に着工し、1948年開通した全長940kmの路線です。工事に27年もかかっていますね。チリ・アルゼンチン両国とも北部はメーターゲージが主流でしたので、ここもメーターゲージで建設され、開通時は首都ブエノスアイレスまで大陸横断列車が走っていました。

しかし自動車交通が発達するにつれて(主にアルゼンチン側で)都市間の鉄道輸送の比重が低下し、国際旅客列車は廃止されてしまいます。いつ廃止されたのかは判然としませんが、1971年には既に観光列車が設定されていたとサルタ市のHPに記載があります。つまり、1970年代に既に国際旅客輸送の主役ではなくなっていたと思われます。

  • 超人口希薄地帯を行く

このサルタ・アントファガスタ鉄道のすごいところは、世界一(と思われる)沿線人口の少ないルートを通るところです。

起点のサルタ、終点のアントファガスタ間の沿線の町らしい町と言えば、サルタから200km・人口5000人のサン・アントニオ・デ・ロスコブレスだけ。あとは人口数百人の村が3つほど。アルゼンチン側でブエノスアイレスまで直通しなくなったとあっては旅客営業が成り立たないのも当然ではあります。

沿線人口はほとんどゼロである一方、沿線には銅などの鉱山がたくさんあり、チリ側の貨物列車は今でも結構な頻度で走っているようです。アルゼンチン側はスペイン語版wikipediaによると、ラ・ポルボリージャ大鉄橋から国境までは、既に貨物も含めて定期列車の運行はされていないようです。

グーグルの衛星写真でサルタ・アントファガスタ鉄道のほぼ全区間の線路をたどることができますので、時間のある時に一度試しにご覧ください。あまりに寂寥とした景色の中に線路だけが延々と続いて、鉄道観が変わると思います。今でも旅客列車が残っていれば相当忍耐力の必要な区間になりそうです。

  • メセタループNO1/NO2
前置きが長くなりましたが、サルタ・アントファガスタ鉄道には2か所のループ線があります。Tren a las nubesの運行区間内にありますので、2015年現在も乗車可能です。

サルタからおよそ100km、ロザリオ川沿いを上り、メセタ駅手前で川を離れます。ここまでも人口の少ない区間ですが、まだ建物や道路などがあり人の生活の匂いがあります。

しかし、森林限界を超えたメセタからが本気の荒野。3500m級の山越え区間はほとんど人造物が見当たりません。しかもその状態が国境を越えて終点のアントファガスタの手前までおよそ800km続きます。メセタにも駅はありますが、町はありません。おそろしいですよね。

メセタ駅からヘアピンカーブを3つ、ダブルヘアピンを1つ越えるとNO1ループに到達します。このメセタループNO1はループ区間内にトンネルのない実に見事なオープンループです。オープンループではスイスの氷河特急のブルージオが有名ですが、それに勝るとも劣らない素晴らしいループ線です。

Google Map衛星写真で見るメセタNo1ループ

そこからさらに10kmほど峠を上るとNO2ループ、こちらは山肌をトンネルでくぐるループ線です。しかし写真を見ると本当に岩と砂ばかりですね。草も生えないとはこのことでしょうか。

なお、この二つのループ線は近接していますが、どちらもサルタから見て上り勾配ですので双子ループではありません。単に一回のループ線では勾配を上り切れなかったということですね。



次回、サルタ・アントファガスタ鉄道 「雲への列車」Tren a las nubesをもう少し見てみることにします。