2016/07/30

欧州⑪スロバキア 173号線テルガルト・ループ 日本人の知らない絶景ループ線



  • ヨーロッパの片隅にひっそりと

今回はスロバキアのまちなかループ線、テルガルトループをご紹介します。

スロバキア北部の上の茶色がタトラ山脈、下の茶色が小タトラ山脈
スロバキア日本大使館のページからお借りしました
スロバキアは昔の社会主義国家の一つだったため東欧というイメージがありますが、現在では中欧に分類にするようです。東西400㎞南北200㎞あり、スイスよりも一回り大きいぐらいです。第一次世界大戦まではオーストリア・ハンガリー帝国の北端部でした。飛び地となっているギリシャ・バルト3国・フィンランドを除くと、ユーロの使える地域の東端部でもあります。

北隣のポーランドとの国境はすべてタトラ山脈の山地で、ウクライナからルーマニアまで続くカルパチア山脈の一部です。タトラ山脈の南側に並行してもう一本山脈があり、こちらを小タトラ山脈といいます。小タトラ山脈から南側はハンガリー国境にかけて山地が広がっています。スロバキアの国土のほとんどはドナウ川水域です。ごく大まかに言うと国土の東と西に平野があり、中央部は山地という感じです。


今回ご紹介するスロバキア国鉄173号線は細長いスロバキアの領土を東西に結んでおり、小タトラ山脈を超える部分にループ線があります。

  • 帝国の伝統を受け継いで

スロバキアの鉄道の歴史は古く、首都のブラチスラバに鉄道が開通したのはオーストリアハンガリー帝国の時代の1848年です。

スロバキアの鉄道路線は日本の国道のように番号で管理されています。一の位がゼロの路線(110号線、120号線、130号線・・・・)が本線で、おおむねオーストリアに近い西から順番に番号がついています。支線は110号線の支線なら開通順に111号線、112号線と言った感じで付番されます。

この路線番号は旧オーストリアハンガリー帝国鉄道時代からの伝統のもので、スロバキアの鉄道は100番台、チェコの鉄道は200番台と300番台、イタリア方面へ向かう南部線は500番台、ハンガリー方面へ向かう東部線は700番台とされていました。

オーストリアやハンガリーでは旧帝国分裂後にネーミングルールを踏襲しませんでした。現在では路線番号のない路線が開通しています。

チェコでは0番台から番号を振りなおしたため、チェコとスロバキアで同じ番号の路線が生じていますが、かつてチェコスロバキアで同じ国だった時代はどうしていたのか謎です。

本線や支線が10本以上になるとこの番号体系はすぐ崩れてしまうので、鉄道建設が盛んな国ほど早々にこの路線番号を放棄したようですが、幸か不幸かスロバキアではそこまで路線が増えなかったため、今でも当時の番号体系がそのまま使われています。

  • ヨーロッパの撮り鉄が集う

スロバキアの東西を連絡する路線は150号線・160号線の南回りルートと120号線・180号線の北回りルートの二つしかなく、173号線は両者を補完する目的で建設されました。ループ線部分は1934年の開業です。

時期的に第二次世界大戦前の緊張した時代でもあり、現在160号線が通っているスロバキア南部の地域がハンガリーと領土係争の真っ最中でした。そのため東西連絡路線の確保のために建設が進めらました。

なお、南部スロバキアは最終的にドイツの介入で終戦までハンガリー領になっています。

ループ線はテルガルトの町はずれの丘を一周して高度を上げていきます。途中トンネルを出たあたりから眼下に街並みが一望できるところがあり、視界良好なループ線です。

ループ線のトンネル部分は12.5‰勾配、それ以外は17‰勾配になっています。トンネル内の勾配が緩いのは蒸気機関車での通過を勘案したものでしょうか。割と珍しいと思います。現地の様子はこちらが詳しいです。(スロバキア語)


テルガルトの町は人口1500人ほどののどかな町ですが、冬はスキー客、夏は登山客で賑わうマウンテンリゾート地への中継点となっています。

日本ではまったく無名なテルガルトの町とループ線ですが、現地の写真などは比較的容易に見つかります。ヨーロッパ、特にドイツオーストリア方面の鉄道写真愛好家にはそこそこ名前が知られている存在です。

点線は建設時に比較検討された線
たしかにこの比較ならループ線が一番合理的です
探した限りではテルガルトループを通った日本人の方の旅行記は見当たりませんでした。首都のブラチスラバからですら日帰りできないのが痛いところでしょうか。






  • 列車削減流行中

そんなのどかなテルガルト・ループですが、やはり2000年代後半の欧州不況のあおりをもろに受けて、現在は1日2往復しか列車が走っていません。非常にぎりぎりの運転本数です。


2009年春の時刻表では普通列車6往復、快速列車1往復の計7往復14本も旅客列車が運転されていたのですが、ばっさり削減されています。ヨーロッパのローカル線はどこも1日2往復が標準になっているのでしょうか。
テルガルト・ペンジオーン駅
単行ディーゼルカーの普通列車は現在は走っていません
また、173号線では現在残っている2往復はすべて快速列車です。普通列車を削減・廃止して快速列車を残し、小駅を見捨てるのはJR北海道っぽいですが、それも一つの戦略かなと思います。

普通列車が廃止された時に、より町の中心部に近いテルガルト・ペンジオーン駅が快速停車駅になっており、現在ではテルガルト駅に停車する旅客列車はありません。

2009年の時刻表では首都ブラチスラバまで直通の快速列車が走っていましたが、これも廃止されて現存の列車は全便途中のバンスカ・ビストリッツァ発着です。


ブラチスラバからバンスカ・ビストリッツァまで特急で3時間30分、そこからテルガルトまで2時間です。通過するだけでも日帰りはかなり困難です。

日本人が少ないことは間違いないのですが、さすがにここを乗るのは難易度が高そうです。

それでもやはりヨーロッパの片隅にたたずむループ線は風情があって一度は訪れてみたいところではあります。





次回は北朝鮮のまちなかループ線をご紹介します。ヨーロッパ以外では唯一といってもいい貴重なまちなかループ線です。さすがに情報が少なすぎて記事1本分の文章が書けるか自信がありませんが頑張ります。



2016/07/17

欧州⑩フランス フォントワ線オーダン・ル・ティッシュ大鉄橋 領土争いの果てに

  • 兵どもが夢の跡
今回はルクセンブルグとの国境にあるフランスの鉱山の町、フォントワ線オーダン・ル・ティッシュのループ線をご紹介します。ここは過去500年にわたってドイツとフランスが領土を争ったロレーヌ地方、ドイツ名でロートリンゲンと言われた地域です。

超大雑把に言うと、もともとドイツ系の住民が住んでいたのですが、1600年代にフランスが占領し、1700年代前半は神聖ローマ帝国が奪還してドイツ領となったところを、1700年代後半から1800年代前半まで再びフランスが支配、1870年から第一次大戦までビスマルク率いるプロイセン領、第一次大戦後から第二次大戦までの戦間期はフランス領、第二次大戦中はナチスドイツ領、戦後またフランス領という経緯をたどっています。歴史についてはこちらが詳しいです。

灰色の部分は鉱山地帯
オーダン・ル・ティッシュのティッシュとはドイツ語のことで、直訳すると「ドイツ語のオーダンの町」という意味になります。

この町から20㎞ほど南にオーダン・ル・ロマンという町がありますがこちらは「ロマンス語(=フランス語)のオーダンの町」という意味で、ちょうどこの二つのオーダンの町の間にドイツ系住民とフランス系住民の境があったことが分かります。オーダン・ル・ロマンの方は戦争中以外は一貫してフランス領でした。

この地方で話されるドイツ語は標準ドイツ語とはかなり異なり、ドイツ領だった時期も普通のドイツ人とは一体感を持ちづらかったようですが、さりとてパリのフランス政府のいうことを聞くのもいやだ、というなかなか難しい地域感情があるようです。

ここまで帰属が揺れ動くと、住民も自分がドイツ人なのかフランス人なのかよく分からなくなってしまうようです。実際、第一次大戦直後にはアルザス・ロレーヌ共和国として独立を宣言しましたが、これはあっさりフランス軍に鎮圧されてしまいました。

長々と歴史の話を書いたのは、ループ線の成立と実は密接に関わっているからでして、このループ線のあるフォントワ線が完成した1904年はこの地方はドイツ領の時代でした。ドイツ帝国鉄道直轄のエルザス・ロートリンゲン鉄道が鉄鉱石輸送用に鉄道を開設しています。

  • 世界でも珍しいデルタ分岐付きループ線

フォントワ線はルクセンブルグ・フランス・旧ドイツ領にまたがる鉱山を目指して南側から建設されていきました。フォントワ線のすぐ西側のフランス領内にも平行してフランス国鉄のヴィルリュプト線がありますが、これは独仏がお互いの領土を通らないで鉱山に直結しようと競って線路を引いた名残です。
点線が旧国境。ひげのついた線は工場の引き込み線です
リュムランジュ・ブランジュ間の路線だけは第二次大戦後の開業

おかげでたかだか30km四方の狭い範囲に鉄道が乱立しました。20世紀後半の鉄鋼不況のあおりでほとんどが廃止になっていて、今ではこの地域一帯は廃線跡パラダイスと化しています。

フォントワ線のループ線は大きな弧を描いて町を一周し、オーダン・ル・ティッシュ大鉄橋で自線をオーバークロスしてドイツ本国方面へと向かっていました。どちらかというとループ線に沿って後から町ができた感じです。ループ線の内側は大きな積み出しヤードだったようです。

ループ線は全長5km高低差50mで勾配は10‰です。鉱山列車は一般的には下りが積載車、上りが空車となる場合が多いのですが、ここでは鉱石を満載した状態で坂を上ることになるため、超重量輸送を考慮して緩勾配で作られています。

こういうところはさすがドイツ製という感じがしますが、実際は細長いドイツ領内だけを通り、できるだけゆるい勾配でドイツ本国方面へ向かう苦心のルート選定の結果、大鉄橋を使ったループ線になったものと思われます。



フォントワ線の配線図
オーダン・ル・ティッシュ駅の規模の大きさに注目
ルクセンブルク側からみたオーダン・ル・ティッシュ大鉄橋

また、フランス領のユシニー・ゴドブランジュまでを結んでいたレダンジュ線がループ線内で分岐していたのも大きな特徴です。分岐のあるループ線は日本では四国にありますが、実は世界的にもかなり珍しいものです。しかもここは三角線になっていました。

レダンジュ線は、当初旧ドイツ領内のルダンジュ鉱山までの路線でしたが、第一次大戦中の1917年にドイツ軍がこの一帯を占領した時にユシニー・ゴドブランジュまで列車が直通しています。

フォントワ線もレダンジュ線もまとめて第一次大戦後にフランス国鉄に編入されています。しかし、そうなると今度は線路が多すぎることになってしまいますが、元からフランス国鉄のヴィルリュプト線の方が先に廃止されています。(ユシニーゴドブランジュ~ヴィルリュプト・ミシュヴィル間1978年廃止、ヴィルリュプト・ミシュヴィル~ティエルスレ間1983年廃止)

  • 再び列車が走るかもしれない

フォントワ線は1999年にオーダン・ル・ティッシュ~フォントワ間の旅客営業が廃止されました。貨物輸送はその後もしばらく続いたようですが、今はそれも廃止されています。

現在はループ線の全線を乗ることはできなくなってしまっていますが、近年廃止区間のフォントワ線沿線の町が国境を越えてルクセンブルグに通う人たちのベッドタウンとなってきており、じわじわと発展しています。

沿線の道路が貧弱なこともあって通勤鉄道路線として根強く復活運動がなされており、2007年には行政裁判所が廃線の構造物の撤去を保留するよう採決したという記事がありました。

現在もエルゼ・シュル・アルゼット~オーダン・ル・ティッシュ間の一駅間だけを1日33往復、終日にわたっておよそ30分間隔で列車が走っており(ただし休日は全便運休)、ルクセンブルグ側からオーダン・ル・ティッシュ大鉄橋をくぐることは比較的容易です。「欧州ローカル列車の旅」さんのサイトに実際に乗られた時の様子がアップされています。現地の様子がよく分かります。→こちら


オーダン・ル・ティッシュの街並みと大鉄橋
右端にホームが見えます
左側の駐車場から森にかけてすべて線路でした
現地の方の鉄道ファンサイトThe Railways in and around Luxembourgさん
からお借りしました。→こちら


これは貴重な現役時代の写真です。
フランス側から見た風景。2000年の撮影だそうです。
よく見ると橋脚は複線分あります
複線化するつもりだったんですね

オーダン・ル・ティッシュ駅はルクセンブルグ方面にしか列車はありませんし、フランス領土内を走るのはほんの1km程度ですが、いまだにフランス国鉄SNCFの管理になっているのは、ひょっとすると将来のフォントワ方面への旅客列車復活の布石なのではないかと期待してしまいます。これまでにご紹介した廃止ループ線の中ではかなり復活の見込みの強い方だと思います。

ヨーロッパの鉄道は多かれ少なかれ戦争の影響を受けているもんですが、フォントワ線の歴史は戦争の歴史そのものでもあります。

今また難民問題などで揺れるヨーロッパですが、平和な町の庶民の足としてループ線が復活するといいのですが。




次回は東欧、スロヴァキアのテルガルトループをご紹介します。


2016/07/11

欧州⑨フランス タレンテーズ線ムーティエループ TGVも豪快にループするスノーリゾート線

  • フレンチアルプスへの回廊
今回からしばらく、まちなかのループ線をシリーズでご紹介します。

ループ線は一般的に人里離れた山の中にありがちです。中には雲への列車 Tren a la Nuebesのように、一番近くの町まで100km以上という場所にあるものも珍しくありません。一方で人々の暮らす街のすぐそばにループ線がある場合もあります。今回からしばらくそのような町のそばにあるまちなかループ線を紹介していきたいと思います。

まちなかループ線はヨーロッパに多いので、しばらくヨーロッパ中心の紹介になりますが、いろいろ面白い町とループ線が出てきますのでご期待ください。

さて、今回はフランスの南、スイスとの国境近くを走るタランテーズ線のムーティエ・ループをご紹介します。

ここはモンブランの麓の世界的に有名なスノーリゾートで、一帯にはたくさんスキー場があります。

1992年に冬季オリンピックが開かれたアルベールビルはモンブランへの入り口にあたります。志賀高原に対する湯田中と言ったところでしょうか。

タランテーズ線はアルベールビルでスィッチバックしてイゼール川の谷間に入り、ムーティエを通ってブールサンモーリスまでを結ぶ80kmの路線です。アルベールビルからの60kmで標高差470mを登ります。

イゼール川は比較的広い谷間をゆったり流れるのですが、ムーティエの町の前後10kmほどの間だけ2000m級の山塊にはさまれた峡谷となっています。

ムーティエの町は人口4000人ほどの静かな田舎町ですが、冬の間は付近にたくさんあるスキー場への入り口としてヨーロッパ各地から人が集まって賑わうそうです。


タランテーズ線は山とイゼール川に挟まれたムーティエ駅をすぎるとそのままループ線に突入します。

3本のトンネルでループ線を一回りして標高を稼ぎ、またイゼール川沿いに北上していきます。ムーティエ駅を出るとすぐにループ線で、町から15分も歩けばループ線のそばに行けます。


ループ線区間の開通は1913年、全長3.7km、標高差70m≒18.5‰のコンパクトな形状です。交差するところがトンネル内にある典型的な渓谷型ブラインドループ線です。


  • とりあえず冬に列車が多いのは分かった

ムーティエ・ループの特色はなんといってもTGV・タリス・ユーロスターという高速特急列車が通過していくことです。TGVは年間を通じて毎週末運転、ユーロスターとタリスはスキーシーズンの週末運転です。スキーシーズンにはロンドンアムステルダム、ブリュッセルなどヨーロッパ各地から直通列車が走ります。

ループ線の手前ラ・バティ付近を走るタリス
こちらからお借りしました
季節と曜日によって運転本数は激しく増減するのですが、最も運転本数の少ない日でもシャンベリーとブールサンモーリス間のローカル列車が7往復14本走っています。スキーシーズンのピークには15往復30本ほどの列車が運転されるようです。

この区間の時刻表がものすごく分かりづらくて、正確な本数が拾いきれませんでした。曜日指定運転と曜日指定運休がある上に、平行して走るバスの時刻も一緒に書いてあったりして、さすがにギブアップです。

こちらはムーティエ駅のユーロスター
なお、ループ線区間を含むムーティエ以北は最高速度80kmとなっていて、TGVも高速性能を持て余しながらのんびり走ります。

  • 全部雪のせい?
これだけ列車が走っていて人目に付きやすいムーティエループですが、不思議なことにループ線の情報がWEB上にほとんど見当たりません。フランスの鉄道路線は現地の鉄道ファンのブログなどから何かしら情報が拾えるものなのですが、ここは勾配すらはっきり分かりません。

ループ線の大部分がトンネル内で見通しが効かないのも理由の一つでしょうが、スノーリゾートとループ線という組み合わせ自体あまり相性がよくないのかもしれません。

ムーティエ駅
正式にはムーティエ・サラン・ブリード・リ・バン駅という長い名前です

とは言え、フランスが世界に誇るTGVがループ線を走るのですから、もう少し注目されてもいいのではないかと。個人的には山形新幹線が旧赤岩駅でスィッチバックするぐらいのインパクトがあると思うのですが…。(かろうじて前面展望の動画がありました→こちら。見事に視界が効かないのが分かります)

パリから4時間半、ロンドンから8時間、ジュネーブからバスで1時間ですので何かのついでに一度寄ってみたいと思っていますが、なかなか機会がありませんね。





次回はフランスからもう一か所。ロレーヌ地方のオーダン・ル・ティッシュにあるまちなかループ線をご紹介します。