2016/08/31

欧州⑬イタリア・イルノ線フラッテループ 不死鳥のごとく蘇ったループ線

  • 世界的観光地がより取り見取り
今回はイタリアの西側、ナポリから近いサレルノのまちなかループ線をご紹介します。

サレルノはナポリの南、特急で40分ほどのところにある人口13万人の古い港町です。港町ですが工業都市というよりも保養地の性格が強く、ソレント半島、アマルフィ海岸、ヴェスピオ火山、ポンペイ遺跡、パエストゥム神殿と言った超著名な観光地も余裕の日帰り圏内です。どこも1時間から2時間程度で行けるので、その気になれば組み合わせ次第で1日2カ所回れそうでもあります。

左手前の山の裏がループ線です
さて、今回ご紹介するイルノ線は、1866年に開通していた南ティレニア本線を経由してナポリへの物流を担うことを主目的に建設されました。当時サレルノを流れるイルノ川沿いには、急流を利用した水力発電をベースに繊維工業地帯が発展してきていました。

計画自体は1880年ごろからあったようですが、イルノ川渓谷をループ線で登る工事が大変な難工事となり、工期が大幅に遅延してスイス人の技術者が自殺してしまうという悲劇に見舞われています。ループ線部分は1893年に完成し、1902年にはイタリア中央部に向かうアヴェリーノ線のメルカト・サン・セヴェリーノ駅までの18㎞が全通しています。
サレルノ近郊の鉄道路線図
赤線の右側がイルノ線、左側がアヴェリーノ線
青線が南ティレニア本線
現在この路線をまとめてサレルノ循環線Circumsalernitanaとして
直通運行する計画が進んでいます

全通後は当初の目論見と異なって、繊維工業がらみの貨物輸送よりも地元の人の地域旅客輸送に積極的に利用されるようになります。

当初蒸気機関車牽引の客車列車が数往復するだけだったのが、1930年代には早くもディーゼルカーが導入され、1日10往復以上運転されるようになっています。このディーゼルカーはイルノ線全線の18㎞を26分~29分で走っており、この時代としては驚くほど俊足でした。

現代の日本の鉄道と比べてみても、信楽高原鉄道が15㎞を23分~25分、九州の甘木鉄道が14㎞を26分、武豊線が19㎞を32分(列車交換2回分の待ち時間を含む)といずれも当時のイルノ線は負けていないどころか速さで上回ってさえいます。1930年代のイルノ線は、ディゼルカーがかっ飛ぶ最先端のローカル線だったようです。

  • 諦めなければ実現する vs 嘘も百回言えば本当になる

ミヌエットも走っています。こちらからお借りしました
ところが、1960年代になるとモータリゼーションが進み、イルノ線は不採算路線ということで1967年にバス転換されてしまいます。

この時イタリア国鉄は利用者に対して事前に告知せず、ダイヤ改正と称して突然全便をバス転換してしまうという荒業を使ったそうです。今ではちょっと考えられませんね。

当然利用者から猛反発を食らいましたが、イタリア国鉄は「廃止ではない。休止だ」と強弁したそうです。

このまま本当に廃止かと思われたイルノ線が復活したのは、1981年に沿線に大学が移転してきたことがきっかけでした。大学側がイルノ線の再建費用を負担して路線を改修し、見事に復活を遂げています。

休止だ、と強弁していたのが結果的には嘘にはならなかったのですが、休止当初から大学の移転が見込まれていたのかどうか、今となっては分かりません。実際に列車の運行が再開されたのは1990年で、休止されてから23年が経過していました。

現在のところイルノ線は、世界中の廃止ループ線の中で、観光鉄道ではない一般の普通旅客鉄道として復活した唯一の例です。この点は特筆しておく必要があるでしょう。

  • ローカル線なのに高規格の謎
フラッテ駅とフラッテトンネルの入り口
こちらからお借りしました
ループ線はサレルノ駅から3つ目のフラッテ駅を出てすぐ始まります。サレルノ駅からフラッテ駅までは3㎞、列車で10分もかかりません。その気になれば歩いて行くことも可能です。

ループの大部分が全長約2400mのフラッテトンネルElicoidale di fratteの中になっており、眺望はあまり期待できません。勾配は19‰、高低差は約90mです。


注目すべきはフラッテトンネル内の曲線半径が450mもの高規格になっているところです。

20世紀初頭のローカル鉄道とは思えない大幹線級のスペックです。これはトンネルが長くなるのを承知で高低差を稼ぎに行ったものと推測できますが、カーブ・勾配・長大トンネルと3拍子揃った難工事になってしまったのも無理ありません。

1909年開通のカナダのキッキングホース峠のループトンネルがトンネル長を抑えるために曲線半径175mの急カーブを採用したのとは設計思想が真逆ですね。不採算でも廃止にならなかったのはこの規格の高さも関係していそうです。

現在イルノ線は平日18往復、休日7往復の列車が走っています。駅が増えて片道30分から35分程度かかるようになっており、かつてのように韋駄天ディーゼルカーを体験することはできません。これはちょっと残念です。

将来的には電化と合わせて大学構内へ直接乗り入れる新線を建設し、サレルノ近郊電車線(サレルノ・メトロ線。メトロと言っていますが地上線です)と直通する計画もあり、さらに発展が見込めそうです。

だいたい1時間に1本ずつ運転されているイルノ線ですが、大学の休暇期間中に運休したり、授業時間に合わせて2時間ほど列車のない時間があったりといろいろ罠があります。

ナポリからも近いのでふらっと乗りに行って半日で戻ってくることも可能ですが、列車の時間はちゃんと調べて行かないとハマりますので要注意です。

  • おまけ ~ 実現していればすごい名所になっていた幻のループ線
ナポリとサレルノを結ぶ南ティレニア本線は日本で言えば東海道線にあたるイタリア西海岸の超重要幹線です。ところがサレルノの町に入る手前に25‰~30‰の急勾配があり、輸送上のネックになっていました。

1915年ごろの計画図
これは実現してほしかった
1910年代に複線化が完成しましたが、急勾配のせいで思ったほど輸送容量を伸ばせませんでした。さてどうしたものか、と当時の人々が頭を悩ませ、その解決策の一つとして考案されたのが勾配を13‰に抑えた新線の建設でした。

この新線の案が右の図の赤線です。二つのループ線の間に鋭いヘアピンカーブがある豪快なループ線計画です。イルノ線のループ線と対をなす形となっているのも強烈。これが実現していればサレルノはループ線の街として世界に名を轟かせたに違いありません。

新設のループ線はナポリ方面行上り貨物列車専用とし、既存線の下り線は客貨両用、上り線はナポリ方面行旅客列車専用にする計画でした。

これが実現していると、峠の途中のヴィエトリ・スル・マーレ駅では貨物列車は上りも下りも同じ方向(山側)から進入してきて同じ方向に出発していくという風景が見られたはずです。ループ線マニアとしてはこれだけで大興奮できます。





結局、このプランは距離が伸びすぎということで却下されました。この輸送上のネックの解消には1977年、サンタルチア・トンネルという全長10kmの長大トンネルの開通まで60年間待たなければいけませんでした。





次回はまちなかループイタリア編の続き、微妙にイタリアではありませんが、サンマリノ鉄道をご紹介します。



2016/08/18

欧州⑫イタリア・サングリターナ鉄道 サンヴィート・キエティーノ 廃止ループ線も一見の価値あり


  • ひそかなループ線王国イタリア

今回からまちなかループ線シリーズのイタリア編をご紹介していきます。イタリアはまちなかループがたくさんあります。まずは、南イタリアのアドリア海側にあるサングリターナ鉄道サンヴィートのループ線をご紹介します。

サンヴィートチッタ駅
ループ線の途中に駅があります
もともとイタリアはイギリス・ドイツに続く古くからの鉄道国だったのに加えて、国土が山がちだったためループ線が多数作られました。国別の建設されたループ線の数では中国の25か所についで2位です。(イタリア16カ所、スイス12ヵ所。現在の国境線で計算しています)

このうち半分近いループ線が需要減から廃線になっており、現在では列車が走っているのは9ヶ所しかありません。「国別廃止されたループ線の数」で実はイタリアは現在世界一のタイトルを持っています。

本来ループ線は「無理してでも山を越える需要があるところ」に作られるもので、それが廃止になるのはループ線をバイパスする別のルートが開設された場合、というのが多いです。

が、陽気なイタリア人は「こまけーこたあいいんだよ」と作ってしまったのかどうか分かりませんが、結果的に需要減で廃止されたループ線が多いのがイタリアの特徴です。いずれそのような廃止ループもそれぞれご紹介していきます。

ちなみに日本にあった山野線の大川ループは国内唯一の需要減による廃止ループですね。

今回ご紹介するサングリターナ鉄道のサンヴィートのループ線も残念ながら2006年に廃止されていますが、ここはループ線を経由しない新線の開通に伴って廃止されたもので、需要減で廃止されたものではありません。

  • がんばれ、地方私鉄

サングリターナ鉄道はイタリア南部アブルッツォ州に路線を持つ私鉄で、ループ線を含むサンヴィート~カステル・ディ・サングロ間が本線です。 1912年にループ線部分が開業して西に向かって延伸していき、1915年ローマへの交通の要衝だったカステロ・ディ・サングロまで全通しました。

他にオルトーナに向かう支線2009年開業の高規格新線で、今のところ貨物専用だそうです。

もとは950mmのイタリアンナローゲージだったのですが、第二次世界大戦中にドイツに破壊されて戦後しばらく全線運休していました。

1950年代の半ばに再建された際に標準軌に改軌されていますが、戦前よりも低規格で復旧しており、とりあえず動けばいい、という感じだったようです。再建時の列車の最高速度は55km/hに制限されていたとあります。

ところがこの低規格が災いして、1980年代ごろから競争力を失っていきました。オルトーナ支線は1982年に廃止になり、本線も西側約半分のアルキ以遠は観光列車が走るのみとなってしまいました。

それでも2000年代初頭まで細々と列車が走っていたのですが、サンヴィートで接続するイタリア国鉄アドリア線が大規模に線路を付け替えて複線化したのに合わせて、サンヴィートとランチャーノ間にループ線をバイパスする新線が作られました。

この時に旧ルートはループ線ごと廃止になってしまいました。ランチャーノ以遠もついでに列車が走らなくなりましたが、ここは将来的には設備を改修した上で復活させる予定だそうです。

結局サングリターナ鉄道で現在旅客列車が残っているのは、サンヴィートから新線経由でランチャーノまでの一駅約10kmの区間だけになってしまっています。


  • もう列車は来ないけど
さて、このサングリターナ鉄道の本線は、サンヴィート駅を出るといきなり全長6kmの巨大なダブルヘアピンで山登りをしていました。海岸線に対して直角に突き出た尾根の上にある標高150mのサンヴィート・キエティーノの市街地めがけてかなり強引なルートで通過しています。



上側のヘアピンはサンヴィート陸橋Viadotto di San Vitoと呼ばれており、海に向かって張り出した陸橋の上を回る大ヘアピンです。イタリア式の美しいレンガ造りの陸橋は、崖の上にある町の風景と合わさって非常に絵になります。

ダブルヘアピンの最後にループ線があり、ループの途中にあるサンヴィート・チッタ駅を通った後、丘の上の平坦な畑の中をランチャーノに向かっていました。全長6kmにも及ぶ巨大なダブルヘアピンで120mほどの高低差を登ります。

ただしループ線部分だけに限ると、半径110m、全長約800mとかなりコンパクトです。最急勾配は37‰と結構急勾配ですが、これはループ線の3分の1が駅になっていて、その部分は平たんにする必要があったためでしょう。ループ線部分の高低差は約20mです。

どうやらここはサンヴィート・キエティーノの市街地の中心部に近いところに駅を作りたかったために、ループ線でわざわざ少し海側に戻る線形を取ったようです。サンヴィート・チッタ駅のチッタは英語でいうシティで、市街地という意味です。山の尾根に沿った市街地にループ線と駅がある風景は独特のものです。

現地の様子はグーグルのストリートビューで見るとよく分かります。(→こちら)また、YouTubeに現役時代の前面展望ビデオがありました。(2:20あたりからループ線、4:39あたりからサンヴィート陸橋)



 新線はサンヴィート・キエティーノ市街地をまったく素通りしてランチャーノに向かうルートになってしまいましたが、イタリア国鉄サンヴィート駅からバスがおよそ1時間に1本程度走っています。列車が20分かけて上っていたところをバスは5分で走り、しかも町の中心まで乗り入れています。

廃止されて10年になりますが、2016年のグーグル衛星写真ではまだ線路がはっきり残っています。

しかし、目につく記事ではすべて「廃止」となっており、利便性もバスの方が上ですので、列車が復活することはもうなさそうです。

海岸沿いのサンヴィート陸橋Viadotto di San Vitoは歴史的にも視覚的にもインパクトが強いものですが、もはや無用の長物となっています。イタリアに行かれる方がおられましたら、取り壊される前に一度鑑賞しておいて損はないのではないでしょうか。



次回はまちなかループ、イタリア編からサレルノのループ線をご紹介します。

2016/08/11

アジア⑦北朝鮮満浦線満浦大橋取付ループ線 ベールの向こうのまちなかループ線 

  • 大陸を目指した日本人たち
今回はヨーロッパを離れて北朝鮮と中国の国境にあるまちなかループ線をご紹介します。

まちなかループ線はヨーロッパ特有のものと思っていたのですが、今回テーマにするにあたって他地域のループ線をひととおりおさらいしてみたら、意外なところにまちなかループがありました。それが北朝鮮と中国の国境の町、満浦(マンポ)のループ線です。

満浦・集安の地形図。鴨緑江を挟んで北朝鮮側は断崖、中国側は広い河原です。
「百年の鉄道旅行」さんのサイトからお借りしました。→こちら
このループ線は1939年(昭和14年)の開通です。中国側は満州国、北朝鮮側は朝鮮総督府の統治だった時代です。

国境より北側は南満州鉄道(満鉄)の梅集線、南側は朝鮮総督府鉄道局(鮮鉄)の満浦線として建設され、国境の鴨緑江大橋を通じて直通列車も運転されていました。

要するにどちらも日本製ということです。ただし、満鉄と鮮鉄は今の某JR同士のように極めて仲が悪かったようです。

満浦の町は清の時代から中国と朝鮮の国境として重要な町でした。

現在の中朝連絡鉄道。オレンジが丹東・新義州、青が集安・満浦、紫が図們・南陽。
TMRはTrans Manchurian Railway(満州横断鉄道)の略と思います。
TCRはTrans China Railwayでしょうか。
中朝の国境線は大部分が鴨緑江と図們江(豆満江)という二つの大きな川に引かれており、鉄道橋は4か所にありました。

西から順に鴨緑江にかかる丹東・新義州間、上河口・青水間、集安・満浦間の3か所と図們江(豆満江)にかかる図們・南陽間です。

このうち上河口・青水間だけは第二次大戦後1950年の開通です。それ以外の3ヵ所はいずれも日本統治時代の満鉄と朝鮮総督府による満朝連絡運輸のために建設されたものです。

この中でメジャーなのは一番黄海側にある丹東・新義州間で、単に鴨緑江大橋と言った場合はこの橋を指す場合が多いです。

この丹東・新義州間の橋は朝鮮戦争で破壊されるまで複線化されていました。

一番北にある図們・南陽間の橋は、新潟・羅津航路経由により最短距離で東京と旧満州の首都長春を結んだ鉄道路線の途上にあったものです。

ここだけは朝鮮領内も満鉄が運営しましたが、戦後はすっかり寂れてしまい現在は国際列車は走っていないそうです。たまたま東京と長春の直線上にあっただけで、中国にとっても北朝鮮にとっても最辺境の地ですので、それも無理もありません。

日本の上越線は1931年(昭和6年)に開通していますが、実は東京新潟間だけではなく、その先満州を見据えていたものだったことは鉄道史を語る上で頭に入れておくべきかもしれません。なお、羅津・長春間の満鉄線は1933年(昭和8年)に全通しています。



  • ループ線だけでも開放してくれないかなあ
この満浦の町は鴨緑江の川面から40mぐらいの高台にあります。満浦から集安に向かう国境連絡線は、この40mの高低差をループ線を使って乗り越えて、国境を越える満浦鴨緑江大橋に繋がります。駅を出るとすぐループ線です。

超貴重なループ線の状態が分かる写真。列車が崖上に見えます。
トラスの向こうに信号機が見えますが、これが場内信号機でしょうか。
だとしたらここはまちなかどころではない「えきなかループ」ということになります。
現地の鉄道写真家のサイトからお借りしました。→こちら
航空写真からしか見ることができませんが実に興味深い風景です。北朝鮮では鉄道は軍事機密事項だそうで、現地の写真を手に入れるのは夢のまた夢です。幸い中国側から望遠レンズで撮影した写真をいくつかWEB上で見つけることができました。

ループ線は駅と直結した形になっており、曲線半径350m、全長は約2㎞です。高低差は地形図読みで約40mですので、20‰~25‰ぐらいの勾配と推定できます。比較的大きめの曲線半径を取っているのは高低差を稼ぎたかったためでしょう。

またループ線の末端では橋を渡らずに川沿いを西へ向かう貨物支線らしき線路が分岐しています。ここも希少な分岐のあるループ線です。

橋左の建物の向こうが満浦駅のはずです。
写真の緑の客車は中国の車両ですね。
「ぶんしゅう旅日記」さんのサイトからお借りしました。→こちら
さらに特徴的なのはこのループ線は一回転していない「一回転未満ループ」である点です。

東から来て北へ向かう鉄橋に繋がっているので、言うなれば回転角270度の「4分の3回転ループ」ですが、これはかなり希少だと思います。

現在、このループ線には貨客混合列車が1日1往復国境を越えて走っていますが、現地の朝鮮民族専用とのことで、日本人が乗るのはまず無理そうです。

歴史、立地、形状と3拍子揃ったなかなか貴重なループ線ですが、生きている間に自由に乗れるようになるとはちょっと思えません。世界中のループ線マニアが訪れる鉄道名所になりうるポテンシャルを秘めているだけに至極残念です。

北朝鮮が民主化されるなどして気軽に行けるようになったら、真っ先に訪れたいと思っているのですが・・・。



  • おまけ~ 中国梅集線老嶺ループ 忘れ去られた不遇のループ線
この満浦から繋がる中国国鉄(旧満鉄)の梅集線にも超地味なループ線がありますのでついでにご紹介しておきます。

梅集線は鴨緑江から離れるに従って標高が上がっていくのですが、結構な急勾配で、最後はループ線で高度を稼いでいます。これが梅集線老嶺ループです。上記のとおり旧満鉄の建設で1938年(昭和13年)の開通です。つまり、鴨緑江を挟んで岸の両岸にループ線があるということです。

中国ループ線一覧。素晴らしい資料なのですが、梅集線以外にも抜けているループ線がちらほら。

満浦ループと老嶺ループは、周辺の土地から見てかなり低いところを流れる鴨緑江を挟んだ双子ループと見ることもできます。

この梅集線の老嶺ループは、数ある中国国鉄のループ線の中で、知名度の低さで他を圧倒しています。おそらく中国人の鉄道ファンですらここにループ線があることに気が付いていないのではないでしょうか。現地写真もまったく見つかりませんでしたし、中国ループ線一覧にも記載されていません。

「中国人女子学生がこのループ線を設計し、その才能を恐れた日本人が日本に来るよう言ったが、女子学生が拒否したのでループ線完成後に殺してしまった」という噂話レベルの真偽不明なエピソードだけがヒットしてきました。これはさすがに超眉唾です。興味のある方は→こちら(中国語)



あまりにもかわいそうな梅集線老嶺ループですが、一応旅客列車も1日1往復走っており、一般の人が普通に訪れることが可能です(ただし北京から22時間かかります)。中国人の鉄道ファンの方の乗車記が見つかりましたが、ループ線についてはほとんど触れられていません。→こちら(中国語)

次回は再びヨーロッパに戻ってイタリアのまちなかループ線をご紹介します。イタリアはまちなかループの宝庫ですので、まずは南側からご紹介します。