2016/09/28

欧州⑯クロアチア・リエカ ブライディッツア・ループトンネル 幹線級の大活躍を誰が予想できたのか

  • 旧帝国港町のループ線
まちなかループ線を紹介してきましたが、今回を入れてあと3つです。山岳鉄道らしくないところが続いてブログタイトルとかけ離れているじゃないかと思われている方もいらっしゃるかもしれませんが、もう少しおつきあいください。

今回はアドリア海の最奥部にある港町、クロアチアのリエカにあるブライディッツア・ループトンネルをご紹介します。


リエカはクロアチア語でそのまま川という意味です。日本にも石川、加古川、大川、白河、川崎、川越など川にちなんだ地名は掃いて捨てるほどありますが、そのものストレートに「川」という地名はありません(たぶん)。なお、リエカの町はイタリア人にはフィウメと呼ばれていますが、これもそのままイタリア語の「川」という単語です。

リエカは中世から港町として栄えており、もとはオーストリア・ハンガリー帝国領でした。帝国領時代はトリエステに次ぐ二番手の港でしたが、ウィーンと並んで帝国の本拠だったハンガリーのブダペスト方面からのアクセスが良く、19世紀中盤以降順調に発展していきました。1865年に東側のザグレブ・リエカ線、1873年に西側のピフカ・リエカ線とかなり早い時期に鉄道が開通しています。

リエカ港で扱われる貨物は主に東のザグレブ・ブダペスト方面へのものが多かったため、いちいち北西側のリエカ中央駅を通るのは面倒だということで、直接本線へ出る連絡線が1900年に建設されました。これがブライディッツア・ループトンネルです。世界のループ線の中でも最古の部類に属する19世紀完成のループ線のうちの一つです。

赤丸は排煙煙突の位置です

この図にはまだスシャク・ペチーネ駅がありません

勾配21‰、曲線半径東側300m、西側280m、高低差は約60m弱で、ループ線の輪の部分の途中で曲率が変化するという、ちょっと変わったというよりも歪んだ形状が特徴です。現在はクロアチア国鉄の運営で、1950年代の中盤に電化されています。

ブライティッツァトンネルの属する連絡線は全長3kmしかありませんが、M603号線と独立した路線番号が付けられています。クロアチアの鉄道線は旧オーストリアハンガリー帝国鉄道線の路線番号制を独自に付番し直して使っており、国際線及び幹線は頭にM、地域主要線には頭にR、ローカル線には頭にLが付きます。ちなみにザグレブ・リエカ線はM202号線、ピフカ・リエカ線はM502号線です。

  • 備えあれば憂いなし
実はブライディッツアトンネルが建設された背景には、微妙に国境問題と民族問題が絡んでいます。

リエカ市街の中央部を流れるリエチナ川よりも南東側は、もともとクロアチア人が多く住むスシャクという別の町でしたが、港湾の発展とともにスシャク地区はリエカの市街地に飲み込まれて一体化して行きました。

旧国境のリエチナ川鉄橋
手前がユーゴ領、奥がイタリア領でした
ちなみにリエカ中央駅よりイタリア側は直流電化
ユーゴ側は交流電化です
しかし、東のザグレブ方面へ向かうために一旦西へ行ってリエカ中央駅で折り返してくるのは、地元の人々には心理的に抵抗があったようです。リエカ中央駅がイタリア人の多い地区にあったのが原因です。

ところが、第一次世界大戦後、トリエステからリエチナ川までは戦勝国となったイタリア領に、スシャク地区は発足したばかりのユーゴスラヴィア領に、それぞれ分割されてしまいます(実はリエカ全体が「フィウメ自由市」として独立宣言した時期もありましたが、これはイタリア軍に鎮圧されています。このあたりの歴史はこちらが詳しいです。)

この国境分断によって、リエカ港はユーゴスラビア唯一の工業港という地位を獲得して、急激に発展していきました。港湾施設はイタリアとユーゴスラビアの共同管理とされていましたが、実際はイタリアが港を使用する機会は少なかったそうです。

このようになってみると、ブライディッツァトンネルが港と行き来するための超重要路線となったのは必然の成り行きでした。イタリア領となってしまったリエカ中央駅を通らないで済むからです。

ただの連絡線が国家的大幹線となったのは先見の明があったからなのか、歴史のいたずらなのか、評価が難しいところですが、今でもM603号線が幹線扱いになっているのはこの名残です。

開通当初、蒸気機関車がトンネル内の上り坂を上り切れなかったり、排煙が不十分で乗務員が窒息したりするトラブルが発生して、旅客の安全上のため旅客営業は実施されませんでしたが、いずれ旅客列車も扱うつもりだったようです。

ところが、一気に物流の大動脈となったため、排煙用煙突を後付けして安全対策を実施したあとも、線路容量的に旅客営業どころではなくなってしまいました。その代わりに本線とブライディッツアトンネルとの分岐点にスシャク・ペチーネ駅が設置されて地域住民の足とされました。この駅は今でも現役で、旅客列車が毎日7往復14本停車します。

スシャク・ぺチーネ駅からリエカ中央駅方面
左が本線、中央がブライディッツァトンネル、右は安全側線です。
左の本線もかなり急勾配です
こちらからお借りしました(クロアチア語)
  • 絶対乗れない方がむしろ諦めがつく
現在もブライティッツァ・トンネルは貨物専用でバリバリの現役ですが、「できるだけ使わないようにしている」そうです。排煙用煙突から列車の走行音がダダ漏れで、騒音問題となっているそうです。現在は電化されていて煙突自体が過去の遺物なのですが、住宅街の真ん中を通るまちなかのループトンネルならではの悲運です。

排煙煙突の一本は公園になっています

ブライディッツアトンネルは開通以来貨物専用なのですが、実は旅客営業がまったくなされなかったわけではないそうです。本線が工事などで通行できない時に、このトンネル経由で旅客列車を迂回運転したことがあるとのことです。

その場合、非電化の併用軌道区間が残るリエカ中央駅から数kmの間を、路面電車のように道路上をゆるゆると走るディーゼル機関車に引かれた国際特急列車が見られたそうです。これはかなりマニア魂を刺激します。


狙って乗ってみたいところですが、そうそう工事運休が生じるものでもなく、事前に日本から察知することも激しく困難で、ほとんどミッション・インポッシブルです。ここを通る旅客列車に乗れたら、かなり自慢してよいのではないかと思います。

港側のトンネルの出口
現在リエカ港のブライディッツア地区では新しいコンテナターミナルが建設されているそうで、それに合わせてブライディッツアトンネルも一部改修が予定されています。

貨物専用で旅客列車が走る見込みは当面ありませんが、クロアチアの物流拠点としてますます重要度が増すものと思われます。

町の真ん中にあるループ線はこれからも活躍が続くでしょう。








マイナーなループ線が続いていますが、次回はちょっと有名なドイツのまちなかループ線をご紹介します。

2016/09/22

欧州⑮イタリア・フランスその他のまちなかループ線 微妙なループ線がもりだくさん

  • 世界一のタイトル保持中、ただし参考記録

さて今回はまちなかにある少し微妙なループ線をまとめてご紹介する番外編です。

まずはナポリ地下鉄1号線。ここは海沿いにあるナポリの中心街から標高180mの山の上にあるヴォメロ地区を目指して坂を登って行く地下鉄です。

環状線になってる地下鉄路線は世界にいくらでもありますが、勾配を登るために作られたガチ勾配用ループ線を持つ地下鉄は世界でここだけです。

イタリアらしい遊び心なのかなと思いきや、最急勾配55‰、軌間1435mm、架線式の本格的な勾配路線なので侮れません。

中心部のMunicipio(=市役所)駅からSalvator Rosa駅までが蛇行しているのは、実はダブルヘアピンの要領で標高を稼ぐためだったりします。

ちなみに今でもヴァンヴィッテリ駅から3方向に向けてケーブルカーが走っており、これが地下鉄開業までは主役の交通機関でした。

こんな地下鉄があるのかと感心すると同時に心配になって世界中の地下鉄の路線図を確認してしまいましたが、勾配用ループ線の地下鉄はここだけでした。現在は西半分だけが開通していますが、将来的には1週つながって環状線になる予定です。

郊外の山の方から海に向かって建設が進められ、ループ線手前のヴァンヴィテッリ駅までは1993年、ループ線区間を通って市街地のダンテ駅までは2002年の開業と比較的新しい路線です。

2013年には長距離列車が発着するナポリ中央駅と連絡するガリバルディ駅まで開業し、名実とものに市民の足となりました。
これはトレド駅。カッコいいです。

地下鉄ですのでループ線からの景色などは到底期待できませんが、各駅は「ナポリ芸術の駅 Le stazioni dell'arte di Napoli」と銘打ってそれぞれ違った現代アートで装飾されており、ちょっとした美術館めぐりのような楽しみ方ができるそうです。

日中は9分間隔で運転されていて、1日の通過本数は平日で109往復218本もあります。

ループ線の旅客列車通過本数世界一ではありますが、あくまで地下鉄ですので、これは参考記録ですよね。

ただし始発が6時20分、終電が23時2分と一般的な日本の地下鉄よりも若干営業時間が短いです。


  • 物流を支える"暫定ループ線"
続いてはジェノバのヴォルトーリ支線 Bretella di Voltoriです。


ジェノヴァは古くからの工業港町で東西の海岸沿い、トリノ・アレッサンドリア、アクイテルメの4方向から鉄道が集まってくる交通の要衝でした。

北のトリノ方面から1853年に鉄道が引かれたのを始めとして、1868年にはサヴォナからピサへの海岸線の鉄道が開通、1894年にはアクイテルメからの路線が開通します。

ジェノヴァジャンクション構想図
左下のVoltri駅から分岐している黒線がヴォルトーリ支線。途中まで複線です。

ところが背後に山が迫っていて平地の少ないジェノヴァは、港湾への貨物輸送が盛んになるにつれて細かい貨物線がどんどん増殖し、収拾が付かなくなってしまいました。

旅客列車も貨物列車もジェノヴァの中心ジェノヴァ中央広場駅Genova Piazza Principeを通らなければならず、何度も入線待ち、出発待ちが必要になって時間ロスが馬鹿にならなくなってきました。

両隣りのジェノヴァ・サンピエール・ダレーナ駅とジェノヴァ・ブリニョーレ駅に大規模な操車場を作ったり、サンピエール・ダレーナ駅をバイパスする短絡線を作ったりしてなんとか100年近くやってきましたが、高速鉄道の時代になりジェノヴァを通過するだけで時間がかかるのではやってられない、と抜本的な遠近分離かつ客貨分離構想が本格化しました。これがジェノヴァ・ジャンクション構想です。

その構想に基づいて作られたのがヴォルトーリ支線です。2006年に第一弾が開通し、サヴォナ方面からアクイテルメ方面へジェノヴァ中心部を通らずに直通できるようになりました。また、ジェノヴァ西部の海岸沿いの発展の契機にもなっているようです。

1950年代のヴォルトーリ駅近辺。
JR西日本の須磨~垂水みたいな雰囲気です
こちらからお借りしました
全部開業するとジェノヴァの街の背後の山の下に大規模な鉄道のインターチェンジが出現することになります。イタリアの高速鉄道TAVもこのジャンクションを走る計画になっており、ゴッタルドトンネルを超えてロッテルダムまでヨーロッパの南北の軸を形成するテルゾヴァリコTerzo Valico(第三回廊)構想の一部にもなっています。かなり壮大なプランで興味深いです。

ヴォルトーリ支線は現在のところ旅客列車はなく、貨物列車のみが運転されています。勾配は16‰だそうですが、トンネル内で複雑に立体交差する計画となっていることから、もう少し急な勾配もあるかもしれません。

ジェノヴァジャンクションは2020年全線開業の予定です。これが完成してしまうと、実はヴォルトーリ支線はただの短絡線になってしまってループ線と言えるかどうか微妙になります。 とりあえず今のところは線形的にループ線に入れておいても問題ないでしょう。


  • パリのまちなかに突如出現する本格派オープンループ

ついでですので、イタリア国内ではありませんが、微妙なまちなかループをあと二つほどご紹介しておきます。

まずはフランスはパリのロワジール・デュ・グランゴデ公園にあるヴィルヌーヴ側線です。

衛星写真で見るとパリのまちなかに見事な盛土のオープンループが出現して一瞬目を疑います。ループ線の輪の中が公園とラグビー場になっているのも珍しく、理解するのに数拍必要になります。

にわかに信じがたいのですが、標準軌で曲線半径260mぐらい、勾配15‰ぐらいの立派な勾配用のループ線です。パリの郊外は意外と起伏があるようですね。ループ線の形状が楽器のホルンに似てるためホルン線Cor de chasseと呼ばれています。



これは乗務員の人が撮影した写真でしょうか
こちらからお借りしました
ヴィルヌーヴ側線はパリの郊外をぐるっと結ぶ環状線グランドサンチュールGrande Ceintre (パリの武蔵野線のようなものでしょうか。)の一部をショートカットするために作られた支線、グランドサンチュール・ストラテジーク線 Grande Ceintre Strategique の側線です。

グランドサンチュールの歴史は武蔵野線よりもずっと古く、1886年の開通です。ただ、支線や側線の開通した時期ははっきりしませんでした。

現在グランドサンチュールのところどころで近郊電車の旅客営業が実施されていますが、ヴィルヴィーヌ側線はいまのところ貨物専用です。

1960年代にオルリ空港の側に作られた世界最大の食品市場ランジス市場に向かう貨物列車が結構な頻度で走っているようです。

形は立派なループ線ですが、まったく山岳鉄道ではないので個人的には少し萌えませんが、パリ観光のついでにちょっと見物できそうです。





  • 夜も眠れなくなる謎の平面ループ

最後は、トルコの東の端、タトワン港の手前にあるループ線。ここはヨーロッパと中東、インドを結ぶ唯一の鉄道路線ですが、途中のヴァン湖で線路は途切れており、その間約120㎞は鉄道連絡船が中継しています。その連絡船航路のヨーロッパ側の港がタトワン港です。


タトワン駅は町の中心の高台にあり、港に向かってスィッチバックする連絡線が作られています。その連絡線の途中に方向転換用の平面ループがあります。平面ループなので当ブログでは本来完全に対象外です。

もともとここを当ブログで紹介するつもりはなかったのですが、この平面ループ線、レイアウトが奇妙すぎて頭から離れません。一見するとループする向きが逆に思えるからです。

この配線ですとループ線を通ると港に戻ってしまいます。船から貨車を引っ張り出して、一旦ループ線を通って向きを変えて推進運転でタトワン駅に行っているのでしょうか。そうするとアンカラ方面に出発する際に機関車が先頭になっています。でもそんなことするならタトワン駅で機関車だけ付け替えた方が簡便だと思うのですが。謎です。



まちなかループ線、イタリア編は今回で終了で、残すところあと3か所。次回はクロアチアのまちなかループ線をご紹介します。

2016/09/15

欧州⑭サンマリノ鉄道 復活を目指す戦火に消えた国民的ループ線

  • ミニ国家の鉄道はオールイタリア製

今回はサンマリノ鉄道のループ線をご紹介します。

サンマリノはイタリアの中央部にポツンとある周囲をイタリアに囲まれた小さな国です。山梨県ぐらいの大きさかな、となんとなくイメージしていたのですが、それよりもはるかに小さく、山手線の内側ぐらいの大きさしかないそうです。


しかしその歴史は古く、日本で言えば室町時代ぐらいにすでに共和制の国家として確立しており、1631年にローマ教皇から正式に独立国家として承認されています。国土は小さいですが9つの地方自治体に区分されています。

イタリア人が住んでいて、イタリア語を話しているけど別の国、という状況はなかなか日本人の国家観からは理解しづらいですね。

サンマリノの国土は大部分が標高749mのティターノ山の山地です。イタリアのリミニからサンマリノまで走っていた鉄道がサンマリノ鉄道です。サンマリノ鉄道と勝手に略していますが、実はFerrovie Concesseと言う独特の建設方式で建設され、ヴェネトエミリア電軌鉄道というイタリアの会社が運営していたイタリアの地方私鉄の一路線でした。開業当初から電化された軌間950mmのイタリアンナローゲージ路線です。

6往復時代の時刻表
ちゃんと一等と二等に分かれているようです
こちらからお借りしました
Ferrovie Concesseとは国が資金を出して鉄道を建設し、民間に付与して運営するというイタリア独特の鉄道路線の建設形態とのことですが、これは上下分離の一種なんでしょうか。

地上設備は国有のまま運営だけを民間会社がやっていたのか、設備ごと文字通り民間に払い下げてしまっていたのかまでは分かりませんでしたが、随分と先進的というか気前のいいスキームです。第一次世界大戦後の戦間期はイタリアではだいぶ景気がよかったようです。

1932年に完成し、当初1日2往復で運転が始まりましたが、すぐに6往復に増便されています。最盛期にはさらに運転本数が増えていたようです。全長32㎞標高差640mを1時間かけて上るタフな登山鉄道でした。

イメージ的には箱根登山鉄道(全長15㎞標高差520m)の勾配を少し緩くしたような感じのものです。サンマリノの国旗と同じ白とスカイブルーのツートンカラーの電車は地元の人に大変愛されていたことが伺えます。


  • 時代が悪かったとしか言いようがない
そんなサンマリノ鉄道ですが、不幸なことに時代はまさに大戦期。第二次世界大戦のさなかに空爆で線路が破壊されて不通になってしまいます。

サンマリノ鉄道は途中のセラヴァッレからと最後が急勾配
最急勾配は50‰を越えます
第二次世界大戦中に線路を爆破するのはだいたいドイツ軍によるものなのですが、ここはイギリス軍の誤爆だったというから救われません。

サンマリノ自体は大戦中、中立を宣言していたのにとんだとばっちりでした。

終戦後すぐ熱烈な鉄道再開運動が展開されましたが、敗戦国となったイタリア資本の民間鉄道だったのが災いしたのでしょうか、遅々として復興は進まないまま21世紀を迎えることとなってしまいました。


現在は車道になっているようです。
これはモンタルボトンネル
さて、サンマリノ鉄道には2カ所ループ線がありました。一カ所は山の中腹のポージョ・ディ・セッラヴァッレ・ループトンネル、もう一カ所は終点のサンマリノ市街地への断崖を貫通するピアッジェ・ループトンネルでした。

ポージョ・ディ・セッラヴァッレ・ループトンネルは20‰勾配で、ピアッジェ・ループトンネルは52‰という超急勾配でした。地形の関係で山の上の方が急勾配になっていたようです。








ピアッジェループトンネル付近の地図
山の南側斜面に回り込む形でループしていました
終点のサンマリノ駅とその一つ手前のボルゴ・マッジョーレ駅間は3.8㎞ですが、標高差が約150mもあり、全線の標高差の4分の1はこの一駅間のものだったというから恐ろしいものがあります。

ちなみにこの二駅間には現在ロープウェイが運転されています。例によって白とスカイブルーのツートンカラーのサンマリノ色ロープウェイで移動することができます。


  • いつか列車が蘇るのを信じて

現在も鉄道再開運動は続いており、鉄道開業80周年にあたる2012年、ついにサンマリノ駅からモンターレトンネルの出口までの800mで復活運転が実施されました。実に休止から68年かけての復活は大したものです。

引き続き再開区間を伸ばして、ボルゴマッジョーレ駅まで結ぶつもりとのことです。これが再開すると当然ループ線も復活するということになるでしょう。これは楽しみです。

ただし、この復活運転は今のところ日にちを限定した試運転程度の運転で、一般の観光客向けには公開されていないようです。ふらっと観光ついでに気軽に乗れるようなものにはまだなっていません。






このサンマリノ鉄道については山下さんの「地図と鉄道のブログ」でも最近紹介されています(→こちら)。

できるだけ見ないようにしてこの記事を書いたのですが、内容がもろかぶりな上に山下さんの方が詳細に解説されています。正直恥ずかしいです・・・。

次回はまちなかループイタリア編からイタリアのまちなかにある訳の分からないループ線をいくつかまとめてご紹介します。