2017/09/30

欧州㉕ドイツ ヴータッハ・ヴァレー鉄道 観光列車として生き残ったミリタリーループ線


  • 国境沿いを行く"豚のしっぽ"

今回はドイツとスイスの国境沿いのヴータッハ・ヴァレー鉄道にある観光鉄道のループ線をご紹介します。

ヴータッハ・ヴァレー鉄道はドイツ語でヴータッハ・タール・バーンWutachtalbahnと書きます。本ブログでは英語表記のヴータッハ・ヴァレー鉄道と表記することにします。

また、このヴータッハ・ヴァレー鉄道の中間の観光鉄道の部分にはザウ・シュヴェンツレ鉄道という別名があり、ループ線はこの中間部分にあります。

ザウはドイツ語で雌豚、シュヴェンツレは尻尾です。地図上の線路の様子を例えたものなのですが、ザウもシュヴェンツレもあまり品の良い単語ではなく、侮蔑・罵倒のニュアンスがあると辞書で出てきます。もっとも、鉄道の名称に使うぐらいなので外国人が気にするほどのものではないのかもしれません。

ちょっと話がそれますが、これまでもたびたび出てきたドイツ語のBahnという単語は実は女性名詞だそうです。

ドイツ語は豚の雄雌で別の単語を使い分けますが、どうしてオス豚ではなくメス豚の尻尾なのかと思ったら実は鉄道という単語の性に引っ張られたようです。鉄道を意味する単語はフランス語・スペイン語では男性名詞、ドイツ語・イタリア語・ロシア語では女性名詞です。まるで一貫性がないのがすごいです。

さて、ヴータッハヴァレー鉄道はドイツとスイスの国境に沿って走っています。場所によってはスイス国境まで1㎞もありません。

この一帯はちょうどドナウ川とライン川の分水界になっている地域で、南側のライン川流域と北側のドナウ川流域では300m近い高低差があります。

ヴータッハ・ヴァレー鉄道は、高原になっているドナウ川流域から、深い谷底のライン川流域までの約20kmをループ線と4カ所のヘアピンターンで克服しています。


  • 眺めの良きは七難隠す

もともとこのヴータッハヴァレーに鉄道を敷設する計画は1860年代からありました。1870年代になってアルザス・ロレーヌ地方がドイツ領になると、ミュンヘン方面への石炭輸送需要が高まります。一般の物資輸送はスイス経由で行われていましたが、軍需品はスイス国内への持ち込みが禁止されていました。

そのためスイスを通らないドイツ領内で完結する独自の輸送ルートが必要となり、がぜんヴータッハ谷が注目されたのでした。途中の脆弱地形に苦労して工事が一旦挫折しかけていたところを最終的に軍部が強力に介入して1890年にヴータッハヴァレー鉄道を開通させています。


ヴータッハ・バレー鉄道はこのように100%軍事目的に作られた路線で、軍部の意向が強く反映された独特の構造を持っています。勾配は重量輸送を想定して全線10‰、正確には98分の1勾配=10.2‰に抑えてあります。この0.2‰にこだわるあたりがドイツっぽいですよね。

最小曲線半径は300mで、鉄橋がすべて砲台を運搬するために重量物耐荷重設計になっていたり、700mもの長大な待避線を持つ交換駅を設けてあったり、かなりのハイスペックです。全長20km程度のこの区間に交換駅が5か所もあるのもミリタリースペックの名残でしょう。全線に複線化準備工事もなされているそうです。

ヴータッハ・バレー鉄道の中間、現在は観光鉄道になっている部分はライン川の深い谷の絶壁沿いを走り、丘の畑の下を全長1700mのシュトックハルデ・ループトンネルで一周して高度を下げます。ループ線自体はトンネルと断崖に阻まれて眺望が効きませんが、前後の4つのヘアピンターンは丘と谷を見下ろす眺望の良い区間を走ります。

元が軍需路線だったヴータッハヴァレー鉄道は二度の世界大戦中は目論見どおり大活躍しました。ところが戦争が終わり、スイス国内を通過できない軍需物資の輸送需要がなくなると、存在価値が半減してしまいます。全線を走る貨物列車は1955年に廃止され、レールバスと貨物列車の区間便が細々と残るだけになっていましたが、ついに1976年、ヴータッハ・ヴァレー鉄道全線で旅客輸送も廃止されてしまいました。

ところがこの路線の景色の良さは以前より知られており、貨物列車が廃止になったころからすでに観光鉄道としての再生を模索する動きがありました。廃止の翌1977年には早くも廃止区間の一部を使って観光列車の運転が再開されています。ヨーロッパ各国からのアクセスが比較的良かったこともあり、観光鉄道は大成功となりヨーロッパでは一躍有名な鉄道名所となりました。軍事路線として生まれたループ線は眺望の良さのおかげで平和な時代を生き延びることができました。2017年は観光列車運転開始からちょうど40周年に当たっています。公式HPは→こちら


  • 全線に列車が戻った奇跡

現在、観光列車は5月から10月までの間、蒸気機関車牽引の列車が1日2往復4本走っています。なお、繁忙期でも週2日は運休日があるというのんびりした運行スケジュールですので、狙って乗りに行く場合は要注意です。たしか一昨年あたりまでは1日4往復運転して居た日もあったはずですが、いつのまにか列車が減ってます。

エプフェンホーファー大鉄橋。この線の一番の見どころです
運賃は片道16ユーロ(約2100円)、往復22.5ユーロ(約3000円)で、蒸気機関車ではなくディーゼル機関車が牽引する日は少し安くなります。

ヴータッハヴァレー鉄道はしばらくの間、と言っても約30年間になりますが、前後の廃線に挟まれて中間部部分だけが観光鉄道として走っている状態でした。ところが1990年代の後半から地方交通改革の流れが生じ2003年に南部、2004年に北部の旅客列車が復活しました。

北部を走るレールバス。リングツーク(RingZug)という愛称がついています。
今ではライン川沿いのラウフリンゲンからシュヴァルツヴァルトバーンに接続するイメンディンゲンまでの全区間を再び列車で通ることできるようになっています。

この再開区間は一応一般の普通鉄道とされていますが、南部は観光鉄道に合わせたシャトル運転で、観光鉄道が走らない日は全便運休となります。北部は2017年ダイヤでは平日8往復、休日3~4往復のレールバスが走っています。

全線を直通する列車が再開されないのは、中間の観光鉄道部分に残る旧型の腕木信号区間にレールバスが入線できないからとのことです。腕木信号を更新すると今度は蒸気機関車が走れなくなってしまって観光鉄道的にはまずいです。が、そもそも全線を直通する流動が少なく、再開する気もあまりないようです。

しかし30年前に廃止された鉄道路線に、形はどうあれ再度列車が走るようになることがあるのはいいことですよね。日本では路線廃止後に普通鉄道として復活する例は極めて少ないので少しうらやましくもあります。



次回はフランスのループ線をご紹介します。